息も出来ない



息が詰まる。
どうしようもないほどの圧迫感に、空気に溺れる魚が思い浮かんで。
押しつぶされそうな胸が、吐息を零した―――


どうしてか、2人でいると心苦しい。
最近、何故だか10班との合同任務が多く、そして、ナルトは心苦しい思いをする。
7班だけならば、何も。何も思うことなく道化を演じる事が出来るのに、何故、10班と・・・いや、10班にいる彼と共にするときだけこんなにも苦しいのか。
無意識に拳を作った手が胸を突く。

知らぬ間に落とされた溜息を、じっと見詰める視線があった。
視線の主は、誰であろうシカマルで。
悩ましげに溜息を付くナルトをじっと見詰めていた。

―ここのところ合同任務が重なって、シカマルは内心喜んでいた。普段は「めんどくせえ」しか言わない彼が、何を喜ぶというのか。
それはナルトの存在。
彼は、ナルトのが気になって仕方がなかったのだ。・・・あの日から。


それは放課後のアカデミーにて、日直の仕事として頼まれた図書室整理からの帰りだった。
「ば〜か」
笑いながら何かを蹴飛ばす様な音が、曲がり角の先から聞こえてくる。
シカマルは顔を顰めながらゆっくりと歩く。面倒な事にその声は、進行方向の先で行われているようだ。
しかし、この方向からしか職員室へ向かえない為に、殊更ゆっくりと歩く。
(―――面倒ごとはごめんだ)
折角の半日だ。しかも天気も良絶好の昼寝日和。早く帰って寝たいところである。
だから自他共に認める面倒くさがりの彼は、いかにも面倒事であろう聞こえてくるそれに、自分が遭遇する前に終わることを願った。

「あはは。きったねえ〜」
笑いながら、囃し立てる声は、楽しそうに。
子供はとても残酷な生き物だ。無邪気な顔で蝶々の羽を毟り取れる。
平気で小さなその手で生き物を握りつぶせるような。
だから、平気で投付けられる言葉。
そして。
「死んじゃえっ」
一際大きな音が、しんと静まり返った廊下に響いた。
いつもは賑わっているアカデミーの、けれど半日で終わる週末の放課後なんて教師も当直以外は早々に帰ってしまう、そんな日で。
きゃははと笑い声を絶やすことなく終わりを告げたそれに、シカマルはほっと息を付いて、角を曲がった。
「――――っ」
けれど目にしたモノに、衝撃が走る。
そこには。
クラスメイトのうずまきナルトの姿が。
何故か全身びしょ濡れの彼は水と・・どこか怪我をしているのだろうか、滲む血に濡れて倒れていたからがだ。
「・・・・お、おい?ナルト???」
流石のシカマルも、現状の悲惨さに声を掛けた。普段の騒がしさに顔を顰める彼ではあったが、こんな状況の人間を見過ごしていけるほど薄情ではない。
「大丈夫か?!」
大丈夫であるはずがないと、己に突っ込みつつも掛ける言葉がそれしか見つからない。
慌てて横たわるナルトに手を差し伸べようとしたときだ。
「・・・・・・?」
「え?」
「・・・・・」
放心したように横たわる、ナルトが何事か言ったような気がして、聞き返したが、返ってきたのは無言だった。
訝しく思いながらもシカマルは、伸ばそうとした手の動きが止まっていた事に気付き、再び伸ばされた手は触れる瞬間、ナルトに阻まれた。
「お前は?」
じっと見詰めてくる、吸い込まれそうな青。
シカマルはあと僅かな距離なのに触れる事が叶わないまま、動きが止まってしまう。
透明で、なのに底が見えない不思議な青。まるで見たことのない海のようだと思考まで奪われながら片隅で思った。
「な、に・・・・?」
こんな綺麗な瞳を初めて見た、と―――
以来ナルトから目が離せなくなり、気が付けば視線が追いかけるようになった。

今も見つめる先の、ナルトの溜息に、眉を寄せる。
何か嫌な事があったのかと。
アレ以来、ナルトが同じ目に遭わないように気を付けてきたシカマルは、ナルトを取り巻く現状を快く思っていなかった。
いじめから発展して大人たちの視線に、もともとの疑問だったナルトに関する事柄を調べてみて判った、唾棄すべき歴史。
ナルトを取り巻く生活環境は列劣悪を極めているの一言に尽きる。シカマルはこの時無駄に回転が良い脳みそが出した答えに、激怒した。
子供たちの苛めも、大人たちの険悪な態度も。ナルトが一人の訳も。全てはナルトの腹に封印されている―――九尾の狐がそもそもが原因だ。だが、強制的に腹にそんなモノを押し込められて、里を守らされているナルトに、だのに勘違いした馬鹿な里人から迫害されている現状を。

見詰める先で、またナルトが胸を押さえ溜息を吐く。
シカマルは、ナルトの側へと行くべく足を踏み出した。



見詰められてる。
ナルトは、ずっと注がれている視線に無意識に溜息を付いた。
視線の主は判っている。監視者のカカシと・・・・シカマルだ。
カカシの視線は判る。憎い九尾を逃さぬよう監視している目だ。だが、シカマルは。
シカマルの視線は他と異なって、圧迫される―――
あの日から、自分に向けるシカマルの視線が変わった・・・・。

いつもの様にアカデミーの子供たちにいじめを受けていた。
この日は、何か講習でも受けたのか、興奮する子供たちに標的してクナイを投付けられた。勿論、子供なんかの腕前で傷付けられるような本当のどべではない。苛める側の子供も習ったばかりな事もあるのだろうが、致命傷を与えられる腕前でもなく、されどどべのナルトは避けきれるはずもないので、余程の致命を受ける場所以外は軽く手負う様に当ってやって。流石にしゃれにならない展開に力尽きたフリをして廊下に跪けば、どこから用意してきたのか、トイレ用の水をかけられ、ついでとばかりに足蹴にされ廊下に寝そべるハメになった。
そして少し前からあった気配が近付くのがわかったが、起きるのもだるくなったので寝そべっていれば、驚いたように声を掛けてきた人物・・・シカマルにこちらが驚いたのはまだ記憶に新しい。
「大丈夫か?!」
そんな言葉、3代目と・・・イルカ以外に聞いたことがなかったから。
シカマルも、他と変わらず見下したような、嫌悪を交ぜた視線で自分を見ていたはずなのに、「大丈夫か」なんて。
だからうっかり
「お前は・・・」
殴らないのか、と聞いてしまった俺に、何故か固まったままのシカマルがいて。
「シカマル?」
「うああああ???」
ひょいと顔を覗き込んだら、いつもやる気のないコイツには珍しくもダッシュで駆けていってしまったので、一瞬呆気に囚われたが何となく脱力してそのまま帰ったのを覚えてる。
それからだ。
シカマルが事あるごとに・・・といってもあいつが知りえる程度の生易しいモノ(いじめ)位だが・・・気が付くと(いや、シカマルが来た気配はわかるのだけれど)側にいたり、何らかの手を打っているのか回避してくれるようになった。―――あの不可足議な視線と共に。
最初のうちは何だコイツ、程度のものだったのに。アカデミーを卒業して、下忍になっても変わることのない・・・むしろ偶にしか会えなくなった分向けてくる視線に圧力を感じるようになって。
息が・・・。
どうして見詰められると、こんなに苦しくなるのか。
今まで、こんな事になったことはなかった。全ての視線は殺意。侮蔑。嘲笑に絶望を織り交ぜ、全て醜いものだった。例外として3代目とイルカの視線は実際にはないが温かさを感じるもので・・・・ああ。シカマルの視線はこちらに分類される。だが、彼等の慈悲にとも取れる視線とはまた違っていて。
ナルトを落ち着かせなくなるのだ。
三度目の溜息が零れた時、やっぱりシカマルが側にいた。


「おい、」
相変わらずめんどくさそうな態度で、けれど眼差しだけは強く、ナルトを見詰めてくる。
「何だってば、シカマル?」
息苦しさを感じつつも、いつものようにあどけなく返事を返せば、シカマルは妙に眉を寄せて聞いてきた。
「お前、どこか怪我してるのか?」
「え?」
「それとも具合悪いのか?」
「は?」
ナルトは唐突に言われた言葉に素で目を剥いた。
けれどシカマルは神妙な態度で辛くなったら早めに言えよ、なんて言ってくる。
「何言ってるんだってば?」
俺、具合なんて悪くないってばよ
元気いっぱいとばかりに両手を挙げて見せれば、具合が悪い云々に反応し、様子を伺っている他の面々の気を逸らせた。
それを尻目にナルトは、小首を傾げてシカマルに問う。
「シカマルってば何でそんなこと思ったってば?」
「何でって」
シカマルの心臓が、突然不動脈を起こしたかのように大きく跳ね上がったことを訝しく思いながらも首を傾げて見上げてくるナルトは、きっと心臓が跳ね上がった理由を理解出来ていないのだろう。
シカマルは上目遣いにじいっと見詰めて答えを待つナルトにたじろぎながらも、律儀に答える。
「そんなに胸を押さえて溜息ばっか吐いてりゃ、具合悪いんじゃね〜かと思うだろ」
「え?俺、溜息なんか吐いてたってば?」
「はあ。無自覚かよ」
めんどくせ〜とシカマルは言うのだが、面倒だという割りに自分の体調まで案じてくれていたという事実に、ナルトの息苦しさは最早最高潮に達す勢いだ。
どうして、こんな自分に、腹に九尾がいるのに優しくしてくれるのか、本気で判らないナルトは、ぎゅうっと眉根を寄せる。

「おいおいおい、本当は具合悪いだろ、お前」
すると、シカマルが何でもない事の様に額に手を当てててくるものだから。
「シカマルはっ!」
ぱしっと音を立てて払われた掌を、驚いた様子でシカマルはナルトを見る。
「シカマルはどうして優しくしてくれるんだってば・・・?!」
勢いが止まらないとばかりに、ナルトはついに、ずっと疑問に思っていたことを言葉にしてしまった。
不安に揺れる、涙の薄幕を張って益々海の様な青に、ついぞシカマルは顔を真っ赤に染めて。都合の良い解釈をすれば、シカマルの告白を待っているとも取れる発言に、場所も任務も耳目も忘れてナルトを凝視した。
どくどくどくと心臓より全身に送られる血流全てが熱く、滾っているに違いない。
「どうしてって・・そりゃ・・・」
「・・・そりゃ・・・何?」
心なしかずいっとシカマルに近付いてきたナルトに、ごくりと喉が鳴った。
そしてシカマルは知る。こんな近距離で、惹かれて止まない青に自分が映っている事に。
「お前が好きだからだよ」
「・・・・は?」
全く意味が判りません、というナルトの返事に、シカマルは構わず海を思わせる青色に飛び込んだ。


「・・・・・・」


それは永劫かそれとも一瞬だったのか。
すっと離れていった熱を覚ますように吐息が唇を撫ぜ。
鼻先が重なったまま、視線は注がれて。
ナルトは呆然と、視界いっぱいに収まっている顔を見れば、いやに色気溢れさせ笑うシカマルの顔が。
「好きだ。言っている意味が判るな?」
判らなきゃ、何度でも同じ事してやる。
ぼっと顔を紅く染めるナルトを見て満足そうに笑った―――











「んで、何で胸を押さえてたんだ?」
所変わってここはナルトのアパ−ト。
なにやら放心していたり喚いたりしている班の人々を残し職務放棄して2人、早々に帰ってきていた。
「・・・うん・・・・」
勢いのままシカマルに連れられるがままま家路を辿って帰ってきた我が家。
自宅で、部屋に2人向き合って座る、そんな現状にナルトは顔を染めて俯いたまま。
「・・・気持ち悪いのか?」
「・・気持ち、悪くない・・」
「どこか痛いのか?」
「痛くない・・・」
顔を上げる事が出来ず、シカマルの今更な質問に動揺を隠せないナルトは、問われるまま俯き加減にぽつりぽつりと零していく。
「具合は、悪くないんだ。ただ・・」
「・・ただ?」
じっと見詰めてくるシカマルの、視線が俯いていても痛いほど感じてしまって。
ぎゅっと胸元の衣服を掴みながら震える声で伝えた。
「息が苦しい・・・てば」
小刻みに震える手に、ひたりと視線を合わせたまま、シカマルもどこか震えるような声で訊ねる。
「なんでだ?」
「何でって・・・シカマルに・・・」
「・・・・」
「シカマルが側にいると苦しい。でも、いないともっと苦しい・・・!!」
なんで?と漸く顔を上げたナルトの目は今にも泣き出しそうで。
シカマルは、もう、ナルトに撃沈させられた。
「・・・勘弁してくれ」
「―――っ?!」
ナルトがその一言に反応するようにびくりと肩を震わせたことにシカマルははっとし、慌てて言い募る。
「ちがっ!お前の事じゃなくて・・・なんだ・・・」
いつもならめんどくせーと続くはずなのに耳を紅くしたシカマルがぽりぽりと頬を掻いて、明後日の方を向く。
そして、一息ついた後、意を決したように、がしっとナルトの両肩を掴んで、真剣な面持ちでナルトに告げた。
「あ〜、つまりだ。俺も、同じって事」
「同じ?こんなに息苦しいのが?」
普段、サクラに好きだと騒ぎまくっているのに何で判らないかな?・・・・もしかしてコイツ・・・
辿り着いた答えにシカマルは今にもニヤつきそうな己を叱咤し、代わりに出た溜息を吐く。
そしてナルトが反応する前に掴んだ肩を引き寄せ、あわや唇が重なりそうな距離で今度こそ間違いなく届くように視線を合わせ、想いを口にした。
「好きだ。さっきも言ったと思うが、おまえのそれも、俺のこの気持ちも同じ――」


「好き」だ。


そう告げられて、ナルトは漸く答えを見つけた気がした。
ずっと溺れそうなこの想いに、だからなのか。


溺れる先に、シカマルが居そうな気がした―――

「・・・俺も・・・」
さっきいってたシカマルの好きと同じ?今言ってくれた好きと・・・・
「でも、サクラちゃん・・・」
「あ?春野の事はいわゆる憧れってやつなんだろ」
いい訳の様に呟かれた言葉をすぱっと切っ先良く切り捨てて、シカマルは抑えきれずに満足そうな笑みを浮かべた。
「つまりは、息も出来ないような気持ちを感じたのは俺が初めてって事、だろ?」
こくんと頷けば、シカマルは嬉しそうに微笑んだ。
微笑んだシカマルの、今までに見たことのないような笑みを見て、胸は急に軽くなって、もっと苦しくなった。
・・これが、好き?
目の前のシカマルの満面の笑み。
これが好きって言うこと――――
ようやく、理解したナルトも自然に笑みを浮かべ。
そしていまも無意識に胸に当てられた拳をシカマルはそっと包むように重ね。掌に続けとばかりに唇が。
段々近づいてきたシカマルに、自然にナルトは瞳を閉じる。
もう、二人の間に距離はなかった―――







どこまでも、溺れていけば良い。
息も出来ないほど、アナタに。
苦しさに伸ばした掌はきっと。
アナタを掴むから。



おまけ

2007.