嘆きの壁に向かう途中で
その人は、とても哀しい声で俺の名を呼ぶ人でした――――
「いい加減、堪った書類をどうにかしたらどうだ?」
少しだけ、呆れたような色を含めた声が掛かった。
「―――セフィロス!」
パシン、と軽く・・・だが、実際のところ大量の書類で後頭部を叩かれた俺は振り返り犯人を睨む。
「総務課がわざわざ俺のところに苦情を言いにきた。部下の躾がなってないのではないか、とな」
「うわ〜!天下の英雄様にそんな事言えちゃうわけ?総務課怖ぇ〜っ」
ひょえ〜っとオーバーに驚いてみせると僅かに口端を緩めた美しい顔が、俺を見ていた。
無味無感想。冷徹、無感情。無表情。英雄に憧れて上がってきたはずのソルジャーたちでさえ、セフィロスをそんな風に言っていた。アイツには人としての感情が欠落しているのだと。けれど、言われるままに遠巻きに見ていた英雄は、噂と実際とかなりのギャップを呈している人物だった。
「・・・俺の顔に何か付いているのか?」
笑んだ形の唇がそのまま困惑気に変わる。
なんでもねーと、軽く手を振って並んで廊下を歩き出す。
誰が開けたのかわからないけれど、開いた窓から高層ビルの66階に吹く風が優しくセフィロスの髪を靡かせる。流れ行く銀の本流を横目越しに捉え、その美しい様にそっと触れてみたいような誘惑に駆られるけれど。
触れれば壊れそうな危うさが、伸びかける手のひらを握らせて。
それが、どれだけ傷つけるのかなんて、考えることもないだろう?
人より解かり辛いってだけで、コイツは。感情欠落なんかしてない。綺麗な殺戮人形なんかじゃなくて、れっきとした人間だ。
人よりただ。
心が、綺麗過ぎて。
「・・・で、だ。人の話を聞いているのか?ザックス?」
――少しばかり自分の感情に鈍感なだけだ。
誰も、コイツに”感情”を教えなかった。誰も、コイツがただの人間であることを教えなかった。
誰も、コイツを抱きしめなかった。・・・それが、最も大事なことだったのに。
なあ。
「おい・・・・?」
せめて、お前が望むならば、俺はずっと近くに居たかったけれど。
「・・・・っ・・・・ん・・・・」
廊下の角を曲がった辺り。観葉植物の陰になるよう強引にその背を壁に押し付けるように、噛り付くように吐息を奪う。
こんな時だけ、一般社員が入り込めない62階以上のカードキー保持者である幸運に笑って。
思う存分に、戸惑う口内を蹂躙する。
「・・・・の、馬鹿者がっ・・・・!!」
はあ、と強引なる口付けから逃れたセフィロスが、どん、とザックスの胸を突き飛ばす。
ひと時の関係など、すでに二人の間では清算されているのに。今はただの、上司と部下。それだけなのに、と綺麗な翡翠色の瞳が訴える。
「はは、ごちそーさまっ♪」
わざと軽く、冗談のように受け流して。
縋るような哀しい色を纏ったその瞳から逃れるように一瞬、眼をそらす。
「んーじゃー、溜まった書類片付けるかー。」
あーめんどくせー!!と笑って、資料が必要だからと背を向けた。
「・・・・」
・・・何時までも俺が傍にいたかったけれど。
――なあ、どうか見知らぬ、こいつが望んでいる誰かさんよ。
カツン、カツン、と一人だけの足音が、酷く響く。
この綺麗な生き物を抱きしめてやってくれ。
お前は人間なのだと。
「・・・馬鹿者が・・・・・」
セフィロスがかすかに呟いた。・・・それは誰に対してのものだったのか。
温かい手のひらは、いつだってセフィロスの心を浚っていくくせに置いていく。
いつだって。
こんなにも望んでいるのに―――
部下に残された上司は壁に背中を預けたまま、何の変哲もない天井を仰いだ。
祈るような声だけが微かに響く。
どうか、どうかと。
けれど、聞き届けられることは未だ叶わず、天に届くことも叶わぬまま。
混沌とする地上で誰も知らない祈りは、ただ、流れていくだけ。
お前を愛しているよ。
そう、誰か囁いて、抱きしめて。
哀しい声の憂いを取り除くように。
もう、寂しくないよと、愛しい声が囁けるまで――――
終わり
2007.05.13
「DAYDREAM BELIEVER」の蕪木螢都さんに捧げたもの。日記で書いたやつの改訂版で申し訳ない。